電球がぴかぴか光る。ふわふわの綿。この文章に違和感を持つ人は少ないと思う。けれど、実際のところ、光る電球からぴかぴかという音は聞こえないし、綿からもふわふわという音は聞こえない。こういうのを、擬態語というらしい。
それは言語を獲得する過程でいつのまにか覚えているものだ。電球が光る様子を「ぴかぴか」と表現する事をいつ覚えたかなんて、記憶している人は滅多にいないだろう。けれど、これは実際にはない音を表現する言葉だから、人によっては独自の擬態語を持つ可能性もある。
関西で生まれ育った友人は、仏壇に手を合わせる動作に擬態語があると言った。「あん」というらしい。これは恐らく仏壇を拝む時に使用する「まんまんちゃんあん」という関西弁の幼児語を省略したものだろう。幼少期はよく祖母や母から「仏さんに、あんした?」「あんしようね」等と言われていたらしい。なので友人は今でも、仏壇に手を合わせ、目を閉じる時には「あん」という擬態語が自然と思い浮かぶそうだ。
ただ、同じように神棚に手を合わせる時は「あん」ではないらしい。神棚を拝む時の擬態語はない。手を合わせる動作は同じだが、仏壇に対する動作にのみ「あん」の擬態語がつく。このように幼少期の経験により、特定の対象に独自の擬態語を持つ人がいる。
ところで、私も独自の擬態語を持っている。きょんっ。である。
私の実家や、祖父母の家には、窓も電灯もない廊下があった。部屋の扉を全て閉めると昼間でも薄っすらと薄暗く、夜になれば真っ暗になる。その、つきあたりの暗闇がきょんっ。なのである。これは家に限ったものではない。消灯された学校の廊下や、残業終わりの会社の廊下に存在する暗闇もきょんっ。だ。
「うわ、もう廊下の電気消されてるじゃん」
「足元気を付けて。真っ暗で怖いね」
「うん。きょんっ。だね」
「え?」
私がこの擬態語を口にするとき、共感されることはまずない。大抵の場合、どういう意味かを尋ねられる。主語や述語がなくとも「ぴかぴか」と口にすれば光っている状態が、「ふわふわ」と口にすれば、触れれば指が沈むような手触りの良さが伝わるだろう。擬態語とは本来そんな便利な言葉だ。「さらさら」ってどういう意味?と尋ねられて、正確な説明が出来る人間はそういない。よって、私も「きょんっ。」を正確に説明出来る自信がない。
感覚を共有できない言葉に、幼い頃から不便だなあと感じていた。が、方言のようなものだろうと、さして深く考えたことはなかった。それが疑問に変わったのは大学生の時だ。確かあれば、言語に関する講義だったと思う。幼児は周囲の大人とのやり取りを通じて言語を獲得していく。その過程で、オノマトペによって自分の感覚と言葉を繋げる。そう書かれたレジュメを見たとき、私はふと疑問に思った。私は擬態語であるきょんっ。を、一体誰から学んだのだろうか?
父母、祖父母、親族に確認してみたが、誰もそんな擬態語を知らなかった。薄っすらある記憶では、幼稚園の頃には既に廊下の突き当りに存在する暗闇に対して、きょんっ。を感じていたような気がする。幼稚園の頃からの幼馴染に尋ねてみたが、私以外の人間からそんな単語を聞いたことはないと答えた。てっきり、オリジナルのオノマトペだと思っていた、と。つまり、私はきょんっ。を幼稚園で学んだわけでもなさそうだ。
色々と聞き回ってみたものの、結局私が誰からきょんっ。を聞いたのか分からずじまいだった。それどころか、更にもう一つの疑問が生まれてしまったのである。
どうやら、窓も電灯もない廊下の突き当りにある暗闇、その全てがきょんっ。ではないらしいのだ。きょんっ。だと感じる暗闇と、きょんっ。と感じない暗闇がある。関西の友人が仏壇に手を合わせる時は「あん」の擬態語を使い、神棚に手を合わせる時には「あん」の擬態語を使用しないように。私もまた、無意識に、感覚的に擬態語を使い分けているのである。傍目には、全く同じ暗闇なのに。
……結局、きょんっ。って何なのだろうか?



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