私がかつて所属していたボードゲームサークルには、誰もクリアした者のいないゲームがあった。
TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)というものがある。
伝統的なボードゲームの一種で、各キャラクターを操作する参加者が、司会進行役のプレイヤーと対話しながらセッションを進めるという形で行われるものだ。
ビデオゲーム全盛期の現代においても、ダイスを使用した判定による盛り上がりや、生身の人間相手に役を演じることから生まれる独特のアドリブ性に惹かれ、つねに一定数のファンがいることで知られている。
そのTRPGの中に、「永い後日談のネクロニカ」というタイトルがある。
往年のスプラッターホラーから取材した、いわゆるグロ系の強烈な唯一無二のヴィジュアルから、開発終了した現在でもサプリメントと呼ばれる追加データが盛んに作られている一作となっている。
令和に年号が変わる直前の話だ。
私の大学のボードゲームサークルには、この「ネクロニカ」のサプリメントが置いてあった。
同人作品のようだったが、名前を調べても出なかったから、ハウスルール用にサークル内で作られたものだったのかもしれない。
荒く留められた茶封筒の中には追加ルールとシナリオが一緒になった30ページほどのホチキスで綴じられた小冊子と、セッションで使うカードの原紙がセットになって入っていた。
ネクロニカのセッションは多人数参加が前提だが、このサプリメントはソロプレイ用だった。
サークルメンバーがプレイするところを少し見た瞬間に、独自性の高い探索システムに強く興味を惹かれたのを覚えている。
おそらく他のメンバーも同じ感想を持っていたのだろう。当時はみんなこのネクロマンサーの館とボロボロの少女のゲームに夢中だった。
内容としては簡略化されたダンジョン探索といった風合いだった。
裏返しにしたカードを部屋のドアに見立てて、罠だらけの館からの脱出を目指す、という構成だ。
部屋に入ったときにプレイヤーに降りかかる災難は裏返したカードに記載されており、めくられたカードが増えるにつれて恐怖の屋敷が全貌を現していく。
扉を開けるたびに待ち受ける恐ろしいレギオンの小隊との激闘、むごたらしく改造された人間たち、冒涜された文明の営みと、陰鬱な過去の記憶――なんともフレーバー豊かじゃないか。
ゲームとしての駆け引きもしっかり用意されていた。指定された数字がダイスで出れば、部屋をスキップすることができる、というような。
スキップされたカードたちはネクロマンサーの強大な手駒となり、戦闘パートで襲い掛かってきた。
ならばとひとつずつ部屋を探索すると、今度は罠によって狂気度が上限を迎え、プレイヤーの操るドールはたちまち発狂してしまった。
ゲームそのものは常軌を逸した高難易度だったが、幸い、このサプリメントには「ヘルパー」が追加されていた。
プレイヤーと同行するノンプレイヤー・キャラクター。
彼女は独自の参照表にしたがって行動し、罠を解除したり、危険なアイテムを知らせてくれたりと、プレイヤーのドールを助けてくれた。
彼女には自前で狂気度を回復する手段もあり、どんな無茶でもさせられた。
「いけにえアリス」と名付けられたそのキャラは、プレイヤーをかばうたびに手足をもがれ、蛆虫で傷口を覆い隠し、うわ言のようにこちらに話しかけては、正気を繋ぎ、そして残った理性で私たちを導いてくれた。
だが、ゲーム側からそうした手助けがあっても、なおこのゲームのクリアは不可能に思えた。
いつも戦闘はジリ貧で、屋敷の最奥に待ち構えるネクロマンサーと対峙する頃には、ろくな戦闘用マニューバが残っていないこともざらだった。
ヘルパーをフル活用しても、リソースは削れていく一方だった。
毎回、いい勝負だった。そして、最後は決まって負けた。
試行数が20回を超えたあたりで、私のなかで好奇心より違和感が勝ってきた。
このゲームは、プレイヤーが勝てない設計になっているんじゃないか?
これでもソロプレイ用のボードゲームには一家言あるつもりだ。
「ネモの戦い」だったら徹夜で攻略した。「パンデミック」の拡張データは、卒論でパレート最適の例として紹介するほどハマった。
その物好きなプレイヤーとしての勘が、「このゲームには明らかな瑕疵があるぞ」と言っていた。
ゲームクリアに躍起になっている友人に馬鹿にされつつ、私はサプリメントの各要素をエクセルに並べていった。
一度の戦闘における損害の期待値、多層構造になった屋敷の中でトラップの仕掛けられた部屋が生成される確率と、潜り抜けるために必要な出目。
考慮すべき変数は膨大な数に及び、元の「ネクロニカ」には存在しない探索システムにはひどく手を焼かされたが、どんなゲームも所詮は有限個の組み合わせだ。掘ればどこかで尽きる。
先輩の手伝いもあって、ふた月ほどで、どうにか屋敷の完全な正規分布化に成功した。
データが丸裸になった屋敷は、じつに精緻なアトラクションだった。
報酬は渋く、戦闘も苛烈だった。しかし常にプレイヤーが最適解を取れば必ず生還できる設計になっていた。
試行を重ねるたびにプレイヤーの知識が確率を収束させ、恐怖の館が秩序立ったフラグの集合に変わる。
多少の粗さはあるものの、優れたゲームには違いなかった。
ただ、「いけにえアリス」だけが例外だった。
彼女の「手助け」はフラグの用意された部屋をスキップさせ、プレイヤーが獲得したパーツをいたずらに消費させた。
無秩序な行動は結果を発散させ、クリアのための関数は次々に破綻していった。
クリアできる確率が最大化するほど、彼女の行動はより大胆に、そして献身的になり、効率よくプレイヤー側を消耗させているように見えた。
この化け物が、ゲームのコンセプトを歪ませるために実装されたのは明らかだった。
誰がサプリメントを作ったのか、サークルの誰も知らなかった。
サークルにはまだ攻略されていないボードゲームがいくつもあった。どれも自作の追加データで改造されていた。
自然とみんな遊ぶのはやめた。次の夏季休暇でそれらはすべて処分されたから、今となっては存在を知ってるやつもほとんどいないだろう。




コメント
投稿について感想や考察を書けます。
コメントを読み込み中...